【2019日本帰省10】行ってよかった十津川村(2)


翌朝。十津川村で私がやりたかったこと。果無集落へ行く。なにそれって人も、この写真を見てもらえばピンとくるものがあるかも。

というのも、同行の家人が口を揃えて「あ、ここテレビで見た」というのだ。私は見てないけど。ちなみに世界遺産らしい。

いろいろ考えて、車2台で来ていることを利用することに。すなわち、まずは旅館からゴール地点となる昴の郷という場所まで2台で行きそこに車一台を駐車。そこから1台に全員乗り果無集落へ。そこから熊野古道を昴の郷まで歩こうと。標高差は200メートルほどのくだり。距離はたぶん2キロくらい。これならたぶん楽だろうと。この考えはとてつもなく甘かった。色んな意味で。

まず。国道から果無集落までの道がとんでもなかった。

見よ。入り口から怪しさ満点。「大型車回転不可」は事実。どう考えても無理。ここでは巾員極狭ではなく「この先幅員狭し」という違和感のない表記です。

途中は崖にへばりつくような道なのに、駒止があるだけ。落ちたら確実にレンタカー返せなくなります。というか死にます。

で、さっきの写真に戻る。果無集落入り口。同じ場所から角度を変えて撮影。

果無集落入り口。「熊野参詣道 小辺路」という言い方もされるらしい。

上の写真にバス停が写り込んでます。村営バス…この10年ほどでどこのイナカでも見るようになったコミュニティバス。運行は週に2本。月曜日のみ。確認はしてませんがハイエースクラスの車での運行と思います。さっきの道をマイクロバスで登ってくるのは想像しづらい。

人のうちの軒先を写すってどうよ…とも思うけどこの干し柿、昭和を通り越してそれ以前の時代の雰囲気。

パノラマ写真です。左右にぐりぐりどぞ。

もう一台の車を停めた昴の郷までたったの900メートル。ちょっとした散歩だな…とこの時点では思ってたんです。この時点では。

数軒の家のある集落を抜けると、こんな動物よけの扉がある。ここが思えば魔界への入り口だったと後の世で語られることになる…知らんけど。

振り返って撮影。果無集落はこの写真の上の方向。

何…ってこれ。石段。あら古道の雰囲気があっていいじゃない…ってのは事実だけど、問題はそこじゃない。

滑る。

滑る

冗談でも大げさでもなんでもなく氷と変わらなかった。つるんつるん。私がいくらアホだからって革靴で来たりとかはしてない。むしろ歩くための靴だった。なんだけど、気をつけておっかなびっくり降りたにもかかわらずホントに何度かコケた。

距離なんてさっきの道標通りおそらく1キロとかだったろう。しかもくだりでなんの苦労もなく熊野古道を満喫しようという計画だったのだが、なんとこの僅かな距離を降りるのに1時間を要してしまう。この日、この時だけ特殊な滑りやすい状況だったのか、いつも滑りやすいのかは謎。

ここを左上から降りてきました。ガードレールの下に道は続いてます。

しかも、さっきの車道まで降りてきたはいいが、この道を横断してさらに難儀なことが。

上湯川に向かってどんどん降りていきます。昴の郷は川向うです。ということは…

はい吊橋キター。

昨日の谷瀬の吊り橋に比べれば間違いなく小物。あっちは長さほぼ300メートル、水面からの高さ57メートルに比べ、こちら柳本橋は長さ90メートル、高さ10メートル。

なーんだ…と思った人。失礼ながらあなたはわかってくれていない。横綱の谷瀬の吊り橋の方や柵が網だったのに対し、こちらは単に線。感覚的には隙間から落ちそうな気がする。しかも柵につかまるのは難しい。

渡橋して反対側の県道側から。

高さはたったの10メートルだけどよく考えたら3階の高さ。落ちたらやっぱり死ねる。しかも、激痛にのたうち回って死ぬだろう中途半端な高さです。そういう思いで見ると水のある部分は殆どなくてずっと石の河原だし。

そして昨日、うちの家人は瀬の吊り橋を渡ることを拒否していた。が、この橋を攻略しないことには車までたどり着かない(いや、車道を延々遠回りすれば着くけどさ)。

私はと言えば、この吊橋でコツを掴んだ。すなわち、足元など見ずに橋のゴールを見てずんずん歩けば大して怖くもないのだ。うちの弟が80のじーさんのように腰を曲げて渡っているのを後ろから笑いながら渡るという酷いことをする。

古いトンネルを抜け昴の郷の駐車場までほうほうの体でたどり着いた先で変な看板を発見した。

世界遺産小辺路。崩落のため通行止め。

先に言え。先にっ。ただ、古そうな看板だし、今下ってきたところを指しているのかは謎。しかもつるつる滑りこそすれど、崩落などどこもしてなかったし。

というわけで、なんか小辺路が酷い道だったように書いたけど(実際私たちの経験は酷かった)見晴らせる場所からはこんな風景が見えました。

ところで、この柳本橋と旅館の間にこの上湯川を渡る別の方法がある。その名を野猿という。それがこれ。

ごめん。十津川村の皆様。前回に続いて再び暴言。頭おかしいだろ(大喜び)。

このかごに乗ってワイヤーを手繰って反対側まで渡るという乗り物。おそらく観光用に残してあるような感じなんだろうけど、これをひところは普通に使っていたのだろうか。

もちろん一人しか乗れない。しかも例えば農業のためのカゴとかを背負って乗るのは無理。本当に実用性があったのか謎。

対岸に到着後に一枚。

もちろんアホな私は乗ってみました。最初はほとんど力もいらずにすいすい進むのだ。が、途中から進まなくなった。考えてみたら当たり前の話で、ワイヤーが私の重さで弓形でしなっているから最初はくだり、そして次第に登りになるのだから最初は楽であとから辛くなるに決まっている。

この野猿のいいところは、落ちそうという恐怖感がない。そういう意味ではいいのだが、人によっては閉所恐怖症を発症しそうな気もした。

向こう岸まで着いたものの、なにもない。さっさと戻る。帰りは割と楽だった…と思ったらあとから聞いたところ私がいつまでも戻ってこないから向こう岸で家人がワイヤーを引っ張ってくれていたらしい。

こののち、件の国道168号線をさらに南下しまして十津川村を出て和歌山県田辺市の熊野本宮大社へ。まあ、途中の道は山奥に力技で作りましたという感じの超高規格道路に改良されてまして。七色高架橋という実はまだ一部しか完成していない道らしいです。

熊野本宮大社の前にまたお昼どきを逃しつつあったので、熊野本宮大社を通り越して見つけた「手作りカフェ&レストラン 杜の郷 みるりいな」へ。ちなみに名前の由来は看板娘さんの名前(みる+りいな)らしいです。

何度も書いている通り三連休の中日。しばらく順番待ちの後案内される。

私が食べたのは熊野牛のハンバーガー。激うま。向こうにあるビールは天地神明に誓って私のじゃないです。運転手ですから。

家人が食べたのは熊野牛の御膳とか…とっても美味しかった(らしい)です。

あ、そういえばお世話になった旅館、静響の宿山水の食事の紹介をしてなかったですね。

一日目の夕食。間違いなく美味しかったです。満足しました。私は。うちの弟は完全に海原雄山タイプでなんか言っていたが…聞き流しました。そう言えばおとんはおとんで鮎が小さいとか言ってたけど…言うほど食べないだろうに。

山水さんの名誉のために書き添えますが、小さいけどちゃんとした地のもので、美味しかったです。買い出しに行ったお店でも売ってたけど大きさは同じようなものでした。きっと十津川ではこのサイズなのでしょう。

こちら朝食。正しい日本の旅館の朝食です。

閑話休題。熊野本宮大社。この階段の上に本宮がありまして本宮の方は撮影禁止だったかなんだかで写真はないです。こういうものにありがたみを感じない罰当たりな私、正直あんまり覚えてないです。

弟夫婦は二泊は無理ということでここで解散。おとんとおかんと私の3人で件の旅館に2泊目。夜は温泉三昧。ついでに翌朝も。誰もいない露天風呂で日の出を迎えまして。ごめん、熊野本宮大社のことは覚えてないけどだんだんと河原が明るくなるさまは今でも手にとるように覚えてるわ。旅の楽しみ方など人それぞれだろうけど、たぶん私のツボは他の人から見るとだいぶズレてるんだろうなあ。つきあわされた我が家の皆様…ご愁傷様でした。

翌日は正直なところあまり書くことがない。国道168号線で再び十津川村を五條市まで戻り、そこから時間調節も兼ねて関西国際空港のすぐ脇のりんくうタウンにあるアウトレットへ行く。で、夕方の飛行機で大分に戻りましたとさ。