というわけで、友人の葬儀に参列。このまま戻っても良かったのだが、ちょっと気分が重いままだったので、せっかくベルリンまで来たのだからと、墓地から車で30分ほどの距離にある嫁の友人宅を尋ねる。こちらは、親子4人で私達の結婚式に来てくださった。この家族のおかんが、嫁の幼なじみ。そう、何もないイナカの村を出て、花の都大ベルリンに引っ越したわけね。
この家族がまた、今時の家族というか、ほんの数十年前にはありえなかった家族の形をしている。子供は3歳の男の子と、2歳の女の子。で、父親はいない。母親が二人。そう、同性婚。
古い考えを持っている人たちの一部には、この「同性婚」ってのがありえないらしく、私達の結婚式に参列されていた年配の方も二人で陰口。「まったく私達のような『まともな』人間には(同性婚など)理解できませんな」とかなんとか。
ただ、これに対して、別の参列者が強烈な嫌味をお見舞いしていた。「そうですねー。ここにいる人たちの中で『まとも』なのは、きっとあなた方二人だけですよ」って。
私は別に同性婚が悪いとかなんとか古臭いことを言うつもりはない。6月に遊びに行ったスイスの友人も同じく同性婚だしね(こちらは男性ふたり。この二人の結婚式の様子はこことか、この辺りとか、ついでにここで読めます。)。ただ、素朴な疑問として、こーゆー新しい形の家族ってコドモに受け入れられるのかな…と素朴な疑問を持っていた。その疑問はこのコドモと話していて氷解した。
実は、この二人のコドモ、おかん二人が一人づつ産んだ…つまり、二人は「腹違い」のきょうだい…ということになるのだが、二人のコドモは、「こっちは私のママで、あっちは妹のママ」とちゃんと理解しているのだ。考えてみると、この二人のコドモにとってはそれがあたりまえのことなんだから、私の素朴な疑問こそが大きなお世話だったわけ。
この新しい形の家族とお茶をして、ついでに散歩までして、ちょっと気分が晴れたところで数時間かけて自宅に戻った。
そして、この数日後。さらにうちに騒動が起こった。はい、ここからの推奨のBGMは遊佐未森さんのクロです。
うちにはまったく可愛くない猫がいた。詳しい事情は知らないのだが、どうも不運な境遇の子猫をもらってきたらしいのだ。あまり、人と触れ合うことを知らないまま育ったらしく、人に懐かない。むしろ臆病で人を疑っているのがわかる。抱っこなんて絶対にさせてくれなかった。
それでも嫁にだけは懐いていて、嫁がよくテレビの前のソファーで居眠りをしていたら、そこが温かいのか嫁の上で一緒になって寝ていたりした。
その葬儀の数日後、嫁が仕事に出ている間、猫が外に出せと下僕の私に要求するので、外にお出しした。そして、そのままうちに帰ってくることはなかった。うちの庭の向こうには広大な畑が広がっているのだが、そこで作業をしていたトラクターに轢かれてしまったらしい。
お隣さん、考えてみるとそこまでしてくださる必要はまったくないのだが、その畑でうちの猫の死体を見つけ、一輪車にのせて回収してくださった。まあ、詳しくは書かないけどその後が騒動だった。
数日後にちゃんとお隣さんの家にお礼に行きました。正直助かったと思った部分もある。もし、死体が見つからないままだと嫁とずっと帰ってこない猫を探し続けるハメになったと思うから。
…というわけで、5月はいろいろあったんです。
人に懐かない…と書いたけど、気が向いたら仕事をしている人のところに来て窓際で窓の外とたまに私を見てたな…。なんだかんだ言ってもいないと寂しいもんだわ。