【13歳の語学留学3】居丈高に経験から学ばせる

第4日、第5日。

火曜日。会社をそそくさと定時に退社した私はそのままクルマで彼を迎えに行く。裏道から裏道へ人生裏街道を走るとバスレーンの完備されたバスよりも早く街に到着。そのまま車で彼をパブに連行。そう。アイルランドに来てパブに行かないのは日本に来て京都に行かないようなもんだ。パブで飯を食わせようと言う魂胆。

私は彼に悪いことをした。いつもと同じように裏道を突っ走ってたら彼が車酔いしてしまった。アイルランドには車のスピードを落とさせるためにこと住宅地ではスピードランプがあちこちに設置されている。確かにこれに対してスピードを落とさなかったり、あるいはランプとランプの間で急加減速を繰り返したら酔いもするわな。
 

というわけで、彼が「酔った」と言ったときには時すでに遅く、彼の顔は真っ青。あっちゃ、メシ、食えるかな。
 

…と心配した私はアホだった。私のお気に入りの隠れ家、郊外のパブAnglers Rest(相当昔にオフ会をしたこともある)にお連れしたところ、彼、スモークサーモンの前菜からフィッシュアンドチップスまで完食。おい、成長過程の身長160センチないその体で大人一人分のメシをどうやって平らげるんだよ。やっぱこいつ、大物になるだろうと思う。ただし、時差ボケも手伝ってちょっとおなかを壊していたが。

翌日も無理やり定時に退社して彼を迎えにバスで町に行く。ひとつ確実にいえることは、朝はホストファーザーが彼を送るからいいようなものの、帰りはホストファーザーと時間が合わないので私が迎えに行かねばならない。さすがの私も毎日会社から彼を街に迎えに行くことは不可能。なのでこう言った。

私:「あのさ、明日から自分で帰らなきゃいけないかもしれんから、自分で自宅までたどり着いてみ。オレは何も言わずについていくから」

そう。自宅までの一人での帰宅を試しにやってみようと言うわけ。ホントは隠しカメラか何かを持たせた友人がついていくのが初めてのおつかいみたいで一番楽しんだろうけど、現実的ではないので私がついていくことに。今回の話は、地図なしではわかりづらいので随所でリンクをクリックするとGoogle Mapに連動するようになってます。

ここで、彼の通学路について説明します。ダブリンの西の果て、Lucanにホストファミリーを得た彼は、O'Connell Bridge脇のWestmoreland Streetから25A,66などのバスに乗らねばならない。ただ、彼の学校のあるGrafton StreetからWestmoreland Streetへはほぼ一本道。College Greenを直進して道を渡りさえすれば彼のバス停にたどり着く。距離にして学校から500メートルくらいか。実に簡単。

…と思った私はあるいは世の中を甘く考えすぎていたのかもしれない。彼、どう考えてもまっすぐ行けばいいはずのCollege Greenの交差点いきなりミスルートの左折。Dame Streetをすたすたと西に向かって歩き始める。

日曜日にオリエンテーションで説明したCentral Bank of Ireland(アイルランド中央銀行)を右手に見つつさらに進む。おーい、そろそろ道を間違えたことに気がついてほしいと心の中で念じていると

彼:「あれ、バス停、通り過ぎたかも」

違うんだよ。明智君。通り過ぎたんじゃなくて最初っから道を間違ってるの…と心の中で思うが、口に出したことは

私:「そうなん?」

あくまで放任です。性格悪いです。

そして、彼が何を考えているのかは知らんが、バス停を通り過ぎたと知りつつそのまま前進。あ、こいつオレと性格似てると心の中で思う。道を間違ったとわかりつつも引き返す決心のできないやつ。そしてドツボにはまってゆく。まあ、車ならともかく徒歩なら引き返すことは決して難しくないんだと思うんだけどね。

そのままてくてく進むとChrist Churchへ。ここに大きな交差点がある。ここまで来たら引き返すだろうと思っていると

彼:「やべ、絶対違う」

はい。違います。引き返そうよ…と思う私の胸のうちなど知らずにさらに直進する彼。おーい。

そして、次のふたまた。ここを直進されると、ダブリンでも屈指の凶悪通り、Thomas Streetに突入。いや凶悪は大げさだけど、でも日が暮れたら私はここに徒歩で入るような真似はしない。ましてや文字通り右も左もわからない13歳の外国人の少年が立ち入ってはいけない。この私の祈りが通じたか、彼は右折。

ここ右折するとね、ちょっと坂を下ってすぐにLiffey川のほとりに出ます。

♪かわのほとりーでーふたーりーすわれーばー

歌ってる場合じゃないけど、ヒマだからこっちは頭の中で同じ曲がぐるぐるぐるぐると回り始める。しばらくすると

♪だいじょぶだいじょぶだいじょぶでぃ

という曲が頭の中でぐるぐると。挙句に気がついたら声に出して歌ってるし。どう見てもぜんぜん大丈夫じゃないのだが。So It's a 大丈夫 Dayを歌いつつ、歩き続ける。

で、Liffey川のほとりに来た。Liffey川のほとりの道は北側は市内向けに、南側は郊外向けへの一方通行。Lucan方面へのバスはすべてこの川沿いを通るからこの橋を渡らずに南側のバス停で正しいバスに乗れば結果オーライということになる。さあ、どうすると期待を込めて見ていると

…橋を渡ってさらに直進してしまった。

彼に言ったか言わないか定かではないのだが、ダブリンにおいてこのLiffey川は道しるべの役に立っている。この川に対して自分が北側にいるのか南側にいるのかを把握するだけで、自分の位置は大体わかる。この川を渡って反対側の街の北側に入るということはとりもなおさず彼が自分で何をしているかさっぱりわかっていない証左と言えるわけ。
 

さらに直進してLUASの線路を過ぎて

彼:「あれ、ダブリンにも路面電車があるんだ」

そんな悠長なことを言ってる場合か。お前、回り見ろよ。あまりガラが良くない地域に入ったと気がつかないか?もしお前が一人でここに立ち入ったと後で知ったら俺、怒るぞ。

LUASの線路を過ぎたバス停で彼は立ち止まる。バス停の表示は83番Harristown行き。聞いたことない地名ですよね。残念でした。

私:「どーすんの?」
彼:「うーん、誰かに聞く。(自宅の住所)はどこですか…って」
私:「やめとけ。ケーサツ呼ばれるぞ」

これは私の失言だったかもしれない。だけどさ、XX番のバス停どこですかって聞くならともかく、いきなりLucanのローカルな住所を言ったって通用しないだろうし、何より、こんなガラの悪い地域であまり人に聞いたりしてほしくないとその瞬間は思ったわけ。彼はバス停にあるバスの運行系統図を必死な顔して見てるけど、こんな系統図、残念ながら現在の彼のおかれた状況を好転させる役にはまったく立ちそうにない。

5分かそれ以上バス停にたたずんだろうか。当然といえば当然83のバスが止まって私たち以外の客を拾いまた発車したが、それ以外のバス、特に彼が乗りたいと思っている25A や66のバスは当然やってこない。

私:「さみいなあ。どーすんだよ」
彼:「とりあえず大通りに戻る」

…ここ、天下のN2(国道2号線)なんですけどといいそうになるのをこらえて再びLiffey側沿いに戻る彼についていく。そろそろ涙目になるんじゃないかと思っていたが、なんの、Boys Don’t Cry。泣かない。偉いぞ。しかも、そうだ、川沿いに戻れば、左に進めば市内に戻るから振り出しに戻れるし、橋を渡って右か左に行けば、正しいバス停にたどり着くぞ。

…なのに、川沿いの大通りに出た彼は、何を思ったか橋を渡らずに右折。おーい、Lucanまで歩いて帰る気か?

私:「おーい、どこ行くん?まさかLucanまで歩いて帰る気?」
彼:「Lucanまで歩いて40分くらいって聞いたけど」

…それは聞き違いか、誰かがウソ言ったんだよ。Lucanまで10キロ以上軽くあるから、2時間かそれ以上は余裕でかかるし、しかも、お前、日が暮れかかった道で方向わかるのか?さすがにここは黙っていられなかった私は…

私:「いや、40分じゃ絶対に着かない」

それでも川上に向かって、つまり郊外方向に向かって再び歩き始める彼。長丁場を覚悟した私は、バスのプリペイドチケットを購入。さらに川上に進む。新しくできた橋のたもとの信号は壊れており、いつまで経っても青にならないというちょっとしたハプニングに見舞われつつもさらに川上へ。

ついに自然史博物館前へ。ここまで来るともうHeuston駅は目の前。ああ、ここのアパートに住んでた友人にほとんど毎日遊びに来てた若かりしころがあったなあ…などと思い出していると彼は、もうこの状況に我慢ならなくなったのか、決心したように

彼:「よし、バスに乗る」

と言ってバス停で次に来たバスに乗ってしまった。79A City Centre行き。お前、考えて乗ったのか?それともついに投げやりになったか?

79Aのバスは当然市内に向けててくてく歩いてきた道を戻る。彼にとっては究極に運がいいことに、このバスはまさに彼が探していた25A のバス停に止まった。なのに!彼はまだ自分の現在位置がつかめていない。O’connell Bridgeまでふらふらと進み、回りを見回して、

彼:「あ、やっとわかった」

遅い。ばかもん。

そして、ちょうどやってきた67のバスに乗る。このバス、Lucanに行く正しいバスではあるのだが、33や66と並んでダブリンバスの数ある運転系統の中でもトップクラスの長距離路線なのよ。しかも、夕方の混雑の真っ只中。つまり、混む。

外が見えないんじゃないかなと思ったら案の定バスの中にはまったく空席がなく彼は立つ羽目に。階段脇の見通しがきかない場所に立ったもんだから外が良く見えない状況に。しっかり外、見張っていてね…と思っていたら、彼、疲れ果てて立ったまま居眠りしてるし。…お前は13歳にして日本のオヤジかっ。

鼻ちょうちんがぱちんと破れて彼は目を覚ます。そこは彼のバス停のほんの数か所手前。そうだ。今こそ外をよく見ろ。もうすぐ降りるバス停だぞ。すると彼はひとつ前のバス停に着く直前で

彼:「ここで降ります」
私:「あそ」
彼:「…やっぱりやめます」

一つ前のバス停なら本来のバス停まで見渡せる場所だから問題はないだろうけど、そこで降りないなら、次の正しいバス停で降りるんだなと思っていると、次のバス停で降りようとしない。正しいバス停を通過。…もう知らんわ。

本来のバス停を過ぎて数分したところでホストマザーが私のケータイに電話をかけてくる。

ホストマザー:「今どこよ」
私:「降りるべきバス停を過ぎてXXXにさしかかるとこ」
ホストマザー:「ええ?XXXって今どこにいるかわかってるの?」
私:「私はわかってる。だけど彼には皆目見当がついてないみたい」
ホストマザー:「あんまり厳しくしすぎちゃダメよ。もう夕飯もできてるから」

…そうだった。ホストファミリーは夕飯の支度をして待っているんだった。

私:「おい、次で降りるぞ」

というわけで、ゲームオーバー。折り返しのバスに乗って戻りましたとさ。

このあと、再び私は呼ばれてもいないホストファミリーの夕飯に寄生して、そのあと彼に偉そうに説教をタレる羽目に。なんか父親になるってことがわかった気がした。よーするに、自分は偉くないくせに偉そうに振舞わなきゃいけないってことなんだ。自分は説教をタレるほど偉くないのに説教をタレる。自分には逆立ちしてもできない仕事だと思うのだが、私の同級生は立派に彼の親をやっているから私にもできてしかるべき仕事なのだろう。

彼にタレた説教は以下の通り。
(1)来る前に「街のはずれは危ないから近寄るな」と言ったのに近寄るとはどーゆー了見だ
(2)いつもわからない単語があったりとか、重要なこと(バスの番号)とかを聞いたらメモを取れるようにいつもポケットにメモ帳を入れとけと言ったのに入れてないとはどーゆーつもりだ
(3)地図くらいもってこい。持ってないとはたるんどる

これ、今後留学するという人にも参考になると思うから労をいとわず(と自分で言うか)解説します。

(1)街の中心部からおおむね徒歩10分かそれ以上歩いた地域(北側の一部は5分程度)にはひったくりとかが多発している治安の良くない地域があるので近寄らないほうが無難。言い方を変えると、町から歩いてホストファミリー宅に帰ろうとなどしないほういい。

(2)これはね、私の留学体験でいちばんオススメしたいことなのだ。つまり、ポケットに入るサイズのメモ帳とペンを持ち歩くこと。これ、ホントに便利。わからない単語が出てきたらそれを書いてもらったり書き取ったりしてあとで辞書を引いたりとか、何か重要なことをぱっとメモしたりとか、あるいは女の子の電話番号をさっと聞きだしたりとか。まあ、最後は冗談にせよ、このメモ帳はこれから語学留学する人には絶対の自信を持ってオススメしたい。ペンと紙あわせて200円の投資でできるすばらしいことです。

(3)地図。まあ、往来の真ん中で莫迦面して地図を広げているといかにも観光客だといわんばかりでいろんなトラブルに巻き込まれる原因とならないとも限らない。だけどさ、今回のように迷子になった日には、地図は死活問題。それを持ってないってのは、緊張感の欠如と取られても文句は言えないんじゃないだろうか。

でね、私が2時間以上も彼の迷子に付き合ったのには私なりの考えがある。私が中学生くらいのころ、頭ごなしにいろんな命令をされるのが大嫌いだった。反発するだけ。だからさ、自分で間違って危ない目にあってこそ反発せずに理解できるんじゃないかと考えたわけ。実際彼は、私が「街のはずれに行くな」と言っていたことを忘れていたんじゃないだろうか。だけど、今回の一件で確実に学んだはず。

同様に、「いつでもメモ帳を持ち歩け」と命令しても「いや、頭で覚えられる」って反感を持つだけだと思う。だけど、今回のような失敗を身をもって体験すれば、彼は今後ポケットにメモ帳を入れて歩くだろう。とはいえ、彼に緊張感が欠如していることは少し気になった。