マイナー世界遺産、「ファグス工場」を訪ねてみた


あなたの最寄りの世界遺産はどこでしょう。調べたこと、ありますか?

まあ、こんなことを言う以上、自分の大分の実家の最寄りはどこか調べてみましたよ。最初は厳島神社と思ったもののあに図らんや、官営八幡製鐵所が正解でした。

翻って現在住んでいるドイツ中北部の某村を基準にすると…というのが今日のお話。うちの近所のにAlfeld(アルフェルド)という人口2万人ほどの小さな町があるのですが、ここに「おらが村の最寄りの世界遺産」があります。

Alfeld(アルフェルド)自体はすでに過去の記事に出てきています。コロナワクチンの大規模接種会場があったのよね。めんどくさいから引用


(引用ここから)
たぶんカタカナで(アルフェルドと)検索をかけてもほとんど情報は出てこないと思われる。世界遺産の工場はあるけどたぶん「世界遺産オタク」(そんなのがいるかどうかは知らんが)の日本人でも知らないのではないかと思われる。
 
人口2万人程度の街なのだが、なんというか、街に元気がない。日本にもあるようないかにも過疎が進んだ街で、関係者には失礼ながら、観光客も買い物客も寄りつくとは思えない。
(引用ここまで)

散々な言われようですが(って書いたのは私)、そんな今では黄昏れてしまった街に今から110年ほど前の1911年に建てられたのが、ファグス工場。ドイツに51か所ある世界遺産の中でもかなりマイナーな部類に入るやつだと思う。ここのなにがすごいのってそれはこの写真を見てほしい。

よほど建築に興味があるとかいうお方でもない限りわからないですよね。私だってこの写真を見せられて感想を求められたら「なんか歴史のありそうな建物ですね」くらいしか言えない自信がある。今からどれだけすごいか全力で説明するから聞いてくだされ。

ここで登場するのが、建築介の巨匠ヴァルター・グロピウス。はいWikiより引用。

Hans G. Conrad (Foto): Walter Gropius auf der Terrasse der Hochschule für Gestaltung (HfG) Ulm am 1. Oktober 1955 während der Feier zur Einweihung der Gebäude. (Wikiより拝借)

(引用ここから)

ヴァルター・アードルフ・ゲオルク・グローピウス(Walter Adolph Georg Gropius, 1883年5月18日 – 1969年7月5日)は、モダニズムを代表するドイツの建築家。

 

近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に)の一人とされる。世界的に知られた教育機関(学校)である「バウハウス」の創立者であり、1919年から1928年まで初代校長を務めた。

(引用ここまで)

近い将来ワイマールでのお話にも登場する、バウハウスの創立者・初代校長。世界の建築会に影響を与えまくったおっちゃんなんだけど、件のファグス工場は、そのおっちゃんの若かりし頃一番最初に建てたモダニズムの始まりと言える建築物なのだぁ。ほーら、なんかすごい気がしてきた。

もう1回外の様子を見てね。

何がすごいかわかりますか。それはガラス。こんなガラス張りの工場なんて当時どこを探してもない。当時の工場といえば薄暗い建物だと相場が決まっていたのに、こんなぶっ飛んだ工場を建ててしまったわけ。ちなみに件のファグス工場は靴型の工場です。なんと現在もやはり靴型の工場として絶賛稼働中。世界遺産にして現役の工場だったりする。これってけっこうすごいことじゃないかしら。

当時の暗い工場。博物館展示より。

で、この工場の立地がまたすごいんだわ。Alfeld駅のすぐ脇。駅に到着する直前、または出発した直後の低速での運転時にこの当時(日本で言えば明治末期)の感覚からしたら相当にぶっ飛んだ建物が列車の窓から見えてくるわけ。乗客たちが「なんじゃこりゃー」となったことは想像に難くない。しかも、この路線はハンブルグ=ハノーファー=カッセルを結ぶドイツを南北につなぐ背骨のような大幹線。当時は相当な数の列車が行き交っていたらしい。

100年前の列車の車窓からこれが見えていたと。ちなみに消しゴムマジック使用。

ここは完全に余談ながら、じゃあ今はどうなのよ…という話をすると、今でも間違いなくこの路線は大幹線。なので、幹線すぎてむしろ新幹線ができてAlfeld(アルフェルド)は日本的に言えば並行在来線区間になり、新幹線の駅などなく素通り。新幹線完成後に完全に素通りになった街というのがどうなったかは日本のそれからもご想像がつくかと。現在でも貨物列車は毎時数本のペースでやってきますが、人が乗れる列車は一時間に1本やってくるのみです。

参考画像。1時間に1本やってくるMetronom(名前のセンスが好き)。総二階建てで5とか6両編成なので本数は少ないけど輸送力は高いと思われる。2022年11月ハノーファー中央駅にて撮影。

午後1時からの週末に一日一度だけ(つまり週二回)行われるガイドツアーを申し込みました。で、勇んで線路脇にある受付のある建物に入ってみた。

 

誰もいない。なんか書いてるね。

はあ…別の建物に行けって。ここに来るまでにもう敷地内を半分くらい横断してるし、建物の周りを見たいだけなら別にお金を払う必要すらなさそうだな。かきいれ時の週末、しかも夏休み期間真っ只中なのにまったくやる気がない。

見ての通り、ほんとに線路の際に建っている。昔は工場内への引込線もあったようだからその立地を最大限に活用していたのだろう。貨物列車はひっきりなしにやってくるから、もし貨物列車の撮り鉄さんというカテゴリがあるのなら、この場所は天国かもしれない。

指定された別の建物に行ってみた。最初の写真で左後ろに見える5階建てくらいの高い建物ね。良かった受付に人はいた。まだツアー開始まで余裕があるので、ちょっと見て回ることに。この建物、地下まで含めると6層もある立派な博物館。

展示は基本的にはバウハウス(この建物)のことと靴(会社の歴史)のこと。さらにはこの近所の自然について触れられた部分もあったり。

この建物もまたモダニズムとかそっち方面じゃなくて別の意味で興味深いのよ。

なんか違和感感じませんか?そう、床板に変な隙間がありませんか。隙間にズームイン。

下の階が丸見え。

なんでだと思います。ヒントは、ここ、昔は靴の木型の乾燥用の倉庫で、百万単位の靴型が保管されていたそうな。さあ、みんなで考えよう(いちいち言うことが寒くて古い)。

話がぶっ飛んだように聞こえるでしょうが、ドイツの一軒家、たいがい地下室があります(弊社調べ)。地下室は有事の際の防空壕になる…とか物騒なことを言う人もいますが、それ以前に天然の洞窟みたいなもんで涼しいのよ。皆様ビールとかを地下室に保管してます。

そう、そんな地下室の冷気がこの隙間から上がってくるわけ。良く考えたもんです。言ってみれば天然のクーラー。とことんエコです。この日(2023年7月8日)は30度を超える気温だったのですが、建物の中はひんやり…とまでは行きませんでしたが快適な気温でした。ただし、太陽光が直接当たる最上階(上の写真の階)はかなり暑かったですけどね。そして、一部の隙間恐怖症的な人にはちょっと怖いかもしれない。そして、この方法は一般のアパートなどに使えるはずがない。

そんなこんなでツアー開始時刻となりツアーへ。25人の枠があるのに参加者は11名。予約サイトを見る限りいつもこんなもんみたい。ああ、マイナーな世界遺産。

ツアーの所要時間は60分…だったんだけど、時間に緩いのか実際は75分ほどかかった。そのうちの2/3くらいは外からの説明。最後の20分くらいが工場内からの説明でした。ちなみに外だけでいいのなら、自分で端末持って説明を聞くツアーが随時開催されてますのでこっちで十分かも。

この週に2回だけの肉声ガイドツアーはドイツ語のみ。英語すらありません。博物館の展示はドイツ語・英語で、自分で端末を持って外を周るツアーもドイツ語・英語と一部他の言語がある模様。でも日本語はない。

説明は実に興味深かった。なんでもファグス社の創業者カール・ベンシャイト(Carl Benscheidt)さんは別の工場で偉い人だったらしいのだがそこから大人の事情で独立。こともあろうにその工場の線路を挟んで真向かいにこのファグス工場を建ててしまったらしい。その時に「あんな暗くて窓の小さい工場はどげんかせんといかん」とか思っていたところで、バウハウスの創立者ヴァルター・グロピウスと知り合ってこの工場を建てるに至ったと。

線路を挟んで真向かいにある別の工場。100年前に近い状態なのかは知らん。

ただし、最初に建てたのはこちら(下の写真右側の比較的小さい建物)で、ここはすでに平面の設計図ができていたとか何だでバウハウス的な先鋭的な建物とまではならなかったらしい。なんだけど、こちらの工場は最初の写真のとおり。

ガラス張りじゃない右側の建物の話です。

内部はこんな感じ。

さらに最初の写真でも見えた入口よりガラス張りの工場の階段室(時計の真下にあるやつ)に入ってみます。

ここが正面から見た時に見える入り口を入った階段室。割と当時のままらしい。

このドアの取手なんかもそう。バウハウス的なものを感じます。

一度外に出て、数枚上の写真でも見えていた(赤丸印参照)扉よりいよいよ工場内に突入。たぶんここからはガイドツアーまたはイベント(後述)時以外は入れない部分です。

他のサイトであまり見ない別の階段室。先程の扉をくぐった瞬間の写真です。

で、こちらが工場の中。現役でいまだに30人ほどの方が働いているそうな。見てのとおり、開放的で明るい…んだけど、現在の基準からしたらこれくらいの明るさは特に珍しくもない。このね、バウハウス的なものを見ていると「え?普通じゃん」と感じることが多いのよ。陳腐な言い方を許してもらえるなら、これはむしろ時代が100年かけてバウハウスに追いついたわけだ。

元々は木型で靴型を作っていたらしい。今でもいわゆるプロトタイプなやつは木で作るけど、以降はプラスチックになるらしい。…あれ、ということは3Dプリンタあたりが早晩使われることになるのかしらね。

この現役の工場にして世界遺産…という特殊さを使ってか、工場の一隅にはこんなスペースがあり、イベントが随時開催されているらしい。この日の夕方は物語の朗読会が開かれるとか言ってた気がした。コンサートなんかもあるらしいし。

こちらは線路沿いにあるカフェ。ここも現在から見れば「ふーん」って感じだけど100年以上前に建てられたという事実を忘れてはいけない。そう思うと、マイナーながらも興味ぶかいファグス工場でした。