ハルツの(昼間の)星ハルバーシュタットと洞窟住居


前回はヴェルニゲローデのこんなバウムクーヘンハウスを在阪ドイツ総領事館のつぶやきで知り訪問したお話でしたが、本日は、時系列的にはその「前」の話。

あ、今日のお話の前にね、お持ち帰りのバウムクーヘン食べてみたのね。

美味しかったことは美味しかった。なんだけどやっぱりできたてにはかなわないというか、しっとり感がなかったというか。購入後5-6日経過していたので仮に日本におみやげに買っていったらおんなじようなことになるなぁ。だったらおとなしく日本のデパ地下でユーハイム…ってバウムクーヘンハウスの営業妨害になるようなことは書かないでおこう。そう、「本場」で手に入れることに意義があるのっ。

とりあえず話を戻すと、バウムクーヘンハウスの「前」。今度はドイツ観光局のこんなつぶやきを見つけたと。

ドイツ観光局。誰もが知っているような有名どころから、聞いたこともないような隠れた名所までいろいろ知ることができて興味深いのですが、これには驚いた。「ハルツへの玄関口と言われるハルバーシュタット」ってことはですよ。これまたうちの近所なのに行ったことがない。なんということ。これは行かねば…ということで、近所どうしのハルバーシュタットとヴェルニゲローデのバウムクーヘンハウスをいっぺんに訪問したわけ。

そもそもなんでうちから小一時間で行ける場所なのに訪問したことがなかったか。これはね、例のハルツ国立公園の北側には綺羅星の如く有名な都市がきれいに一列に並んでいるのよ。

ゴスラー(世界遺産都市)に

ヴェルニゲローデ

クヴェトリンブルク(世界遺産都市)

これらの街からは一段落ちる(個人の感想ですっ)けど

ブランデンブルク

バートハルツブルク

こうなるとね、ほんっとにすまんがこのいわばアウトバーン36号線沿いに並んだ「ハルツ観光ベルト地帯」(たった今生まれた造語)からちょっと北に離れたハルバーシュタットは昼間の星のように私の濁った目には見えていなかったのです。でもそれじゃあいかん。行かないと。

上のような理由でハルバーシュタットがいまいち光っていないわけですが、実はもう一つ理由がある。それは先の大戦で、ハルバーシュタットの中心部は見事に破壊されてしまったらしい。翻ってクヴェトリンブルク。またドイツ観光局にご登場願いましょう。

「街そのものが最大の見所、世界遺産クヴェトリンブルク」

聞きました?ドイツ観光局がお墨付きで認めるクヴェトリンブルクは街そのものが最大の見所なんですよ。そうなれたのは取りも直さず先の大戦で破壊されなかったことが要因の大きなひとつなことは疑う余地もない。「ハルツ観光ベルト地帯」の街(の観光的に重要な部分)は戦争で破壊されなかった。ここ、試験に出ます(なんのかは知らんけど)。

前置きが長くなりましたがハルバーシュタットはこんな街でした。

Domplatz
大聖堂
Dompropstei
St. Martini教会(中には入れず)
たぶんその辺の家(をい

決して悪くないでしょ。いや、むしろ期待値がかなり低い状態で訪問したのでその期待を良い方に裏切ってくれた。なんだけど、やっぱり「ハルツ観光ベルト地帯」の街に比べると昼間の星…なんかあちこちから怒られかねない内容になりつつあるな。

謝っておきたいことは上の写真の紹介だけでお茶を濁そうとしているところからもご賢察いただけるように、私は旧市街をちょっと歩いただけ。博物館なども全部スルー。なので私はたぶんこの街の表層のそのごく一部しか見ていない。ま、話半分に聞いてね…ということです。

ここでドイツ観光局のつぶやきに今一度登場願います。

また近郊のLangensteinには珍しい洞窟住居があり

正直こっちのほうが私の興味を引いた。行こまい。というわけでこの日は欲張りにも3箇所も訪問したのね。なのでバウムクーヘンハウスの訪問が遅くなった。

さて、ハルバーシュタットから車で数分の距離にあるランゲンシュタイン村。基本的に「ハルツ観光ベルト地帯」より南はハルツ山のなだらかな山岳地帯なんだけど、ハルバーシュタットのある逆側は見事なくらいの平地なのね。ほんとにこんなところに洞窟住居なんかあるんかいな。

見渡す限りまっすぐの道。

こちらがハルバーシュタットを出た瞬間の車載カメラのキャプション。左手10時の方向の数キロの位置に件の洞窟住居のあるランゲンシュタイン村があるらしいんだけど…洞窟とは縁がなさそうな気がする。ついでにいうと、遥か彼方に見えている山々がハルツ国立公園なんだけど、見ての通り急峻な山ではない。

村に近づくと、確かに低いながらも崖はあり、洞窟住居とやらがあっても驚かない感じだけど…

こちらが村の中心。正直何の変哲もない(ちなみにこのあたりはザクセン=アンハルト州、つまり旧東ドイツです)。と同時に、洞窟住居の必要性も感じない。普通の家々が並んでいる。どうなってんだ。これ。

「洞窟住居」はこの坂を登りきったところから左に入ったところにあった。

この坂を登ったところにあるらしいんだけど…未だに想像がつかん。

とりあえずさっきの目抜き通りに車を停めて、徒歩で坂を登ってみました。旧東ドイツ名物トラバントがいたのでちょっとトナラーになってみた。すごいね。コンパクトカーのそらまめ号(日産ノート)が大型車に見えるよ。

で、位置的には村の頂上に当たる場所に洞窟住居はあった。

え?これ??

近づいてみます。

なるほど。あるね。

中に入ってみます。

リビング
廊下

たぶんですが、家具は暮らし向きを想像してもらうためにおいてあるだけで時代的にはあってないでしょうし、文化的な価値もあまりないと思われます。

寝室…ま、見りゃわかるわね。

この日の外気温はだいぶ暖かく15度とかで、中に入るとひんやりした。これ、夏は天然のクーラーで過ごしやすいだろうけど、冬は寒いぞ。きっと底冷えがする。

台所…ってここで火を使ったの?煙で死んじゃうじゃんと思ったら

上方向を撮影。

なるほど、煙突がありますなぁ。

と、ここに団地よろしく4軒並びの家があり、外には

 
厠の内部。もちろん中には入れないので窓から撮影。

共同厠。

で、ここ以外にも

 

このように数軒の同じような洞窟住居が確かに存在しました。

さてここで素朴すぎる疑問。

先程の共同厠の向こうを撮った感じ。トラバントと私の車はちょっと低い3時の方向あたりに停まってます。

こんなふうに普通の家が並んでいる脇になんで好き好んで洞窟住居なんて建てた(掘った)の?

19世紀にお住まいだったということね。

答えは非常に単純明快。貧乏だったからです。通常の家を建てることができない有り体に言ってしまえば恵まれない家族が穴を掘って住居にしたと。都合のいいことにここの石質がすごく掘りやすいものだったらしい。これで合点がいきました。

しつこくて申し訳ないんだけど、例のドイツ観光局のつぶやきをもう一度ご覧ください。

4枚目の写真の場所…見てない。どう見ても同じ場所じゃない。

どうもこの洞窟住居は村の中に2箇所あったらしい。見落としました。こうして表層しか見ていないハルバーシュタットと近郊の洞窟住居。機会があれば再訪します。