やっぱり人を見たら泥棒と思うべき…なのか…。


今日の話はあんまりおもしろい話じゃありません。…いやいや、いつもは面白い話を書いているとかいう意味じゃなくて、ああそうだ、胸くそ悪い話って言えば話が早いのか。

 

私の住んでいるドイツ某所、何度でも書きますがイナカです。というわけで、まあ、平和なんですよ。たいがいにおいて。そんな平和なイナカで、在宅勤務なる自宅警備員をしている私。まあ、これが話の大前提。

 

なんか知らんけど、今週は仕事が忙しかった。嫁は仕事、義両親はお出かけ。私はひとりでお留守番という状況下で玄関のドアベルが鳴る。なんだよ、アマゾンでなんか最近頼んだっけな…などと考えつつ、通話途中だった電話を持ったまま階下の玄関へ。ドアを開けるとそこには肌の色の濃い、私より年上の男が何やら紙を持って立っていた。曰く

 

「お金恵んでください」

 

珍しい。こんなイナカにまでお金を恵んでとかいう人が来るんだ。

 

私:「ごめん。忙しいの(実際電話中だし)」

 

とドアを閉めようとすると…

 

男:「2ユーロだけでもいいんで恵んでくださーい」

 

確かに2ユーロくらいという思いがないわけではなかったがドアを閉める。私は電話の向こうに同僚に

 

私:「ごめんごめん。というわけで、誰かが玄関にいたの」

同僚:「あ、それ、泥棒だよ」

 

文字通り「人を見たら泥棒と思え」の論理だな、とも言えるのだけど、確かに説得力がある。なぜその考えに思いが至らなかったのかと自分を不明を恥じた。そう、空き巣が在宅確認の目的でやってきた…という可能性は非常に高い。だってさ、この人、このイナカにどこからやってきたの?わざわざ列車やバスを乗り継いで小銭を恵んでもらうためにこんな片田舎までやってきたなんてちょっと考えづらい。レストランなんかで払うチップの額なんかを見ても、ドイツ人は基本ケチ…じゃなかった質実剛健な印象を受けますしね。

 

ふむ。どうしよう。

 

これが最近の日本なら110番はしないまでも近所の交番か所轄の警察署に電話をするような案件ですよね。数分後にはメールで登録者に「不審者情報」が流れると。さて、ドイツでの正しい対応はなんだろうと。

 

あ、そうだ、泥棒だった場合のために容疑者の写真確保だ!と思い至り、カメラを片手に窓の外を見たがすでに男は見える範囲にはいなかった。あー、でももし村の中で空き巣を働いたとか後で知ったら気分悪いなと思い、ちょっと悩んだ挙句に同僚との電話の後で勤務中の嫁に電話をする。ちなみに初めてです。勤務時間中は放置してますから(用事もないし)。

 

嫁:「あーそう。たまにそーゆー人来るから放置でいいと思うわよ」

私:「ホントに?ドロボーだったら気分悪いじゃん」

嫁:「でも、わざわざ警察に電話するほどのことじゃないと思うわよ」

 

…まあ、心配症の嫁より自分のほうがよっぽど心配症というのはにわかには受け入れられないことなので、嫁がそう言うならと放置することに。仕事に戻る。

 

で、このあと実はこの男は泥棒で村でやっぱり被害が出た…という話じゃないんですよ。どうもこの男、少なくともドロボーではなく本当にお金を無心していた模様。ただ、そうなると疑問でしょ。この男がこんなイナカまでどこからどーやってやってきたのかって。

 

ここから先は憶測と体験談が混ざるのですが、以下、義母ほかから聞いた話を総合すると、どうもこのような行為は組織的に行われている疑いがあるらしい。つまり、何かしらの難民か何かをまとめる組織があり、その組織がグループになって村にやってくると。そして、村の中で散らばって各家の訪問を始めると。…なんじゃそのおよそ効率がいいとは思えない行為は。

 

この話を義母にしたら教えてくれた数年前にうちで実際に起こったお話。義母がドアを開けたらそこには難民と思われる女が小さな子供連れで立っていたそうな。子供をダシにしている時点で私のときよりタチが悪いです。で、女が持っていた紙には…

 

「お金をください。お腹が空いています」

 

義母、いたく同情をいたしまして、

 

義母:「ちょっと数分まってね」

 

とドアを閉め、数分後…

 

義母:「お腹が空いているのね。じゃあこれを召し上がれ」

 

と、あっという間の手際の良さで作ったサンドイッチを子供に渡したそうな。

 

これを聞いて、正直頭を抱えた。この人は人を疑うことを知らんのかと。そのうち変な(売った人が)「幸せになれる壺」でも売りつけられるんじゃないかと。と同時に、なるほどこの発想はなかった…と感心もした。そうだよね、お腹が空いているならお金じゃなくて食べ物を渡したほうが手っ取り早い。こと、商店がただのひとつもないこの村では非常に正しい。

 

かくして数時間後、義母が出かけようとドアを開けると、そこには義母の愛のこもった(当社基準による)サンドイッチがこれみよがしに投げ捨てられていたそうな。

 

これを聞いて頭を抱えていた私は一気に怒りが沸点に。人が善意でわざわざ作ったサンドイッチを玄関前に投げ捨てるって難民だろうとなんだろうと人として許されることなの?(これ、「おにぎり」に読みかえると日本的にはより親しみやすい話になるかも。お腹が空いているという子供におにぎりをおばあちゃんが作ってあげたら捨てられた…という話)無理やり好意的に考えればおめでたい義母の目を醒ますような効果はあったかもしれないけど、私の基準としてはとてもじゃないけど許されることじゃない。すまんが私が幼少のころに親に叩き込まれたことのひとつは「食べ物は無駄にするな」ということ(非常に正しいと思う)。なので、食べ物を無駄にする人は許せない。人の好意を無下にする人ももちろん許せない。両方いっぺんにやった奴はもっと許せない。

 

聞いたところでは、組織的に村にやってきて、お金を恵んでもらおうと各家を訪ねて、どうも集まったお金はそのドアベルを鳴らしたその人のポケットに入るわけではなく、その組織の元締めに入るらしいのだ。つまり、ドアベルを鳴らした人は例えは非常に悪いが鵜飼の鵜。確かに本当にお腹が空いているなら急ごしらえのサンドイッチだって美味しくいただくよね…。

 

この件も影を落としているのか、この家の家族内の一部でも正直難民に対する評価は厳しい。そして、その厳しい評価は連帯責任的に「これだからガイジンは」っていう理論にもなっている。よくもまあガイジンの私の前で堂々と言うもんだな…とも思うけど、いわく、私は税金を払っているからいい…とのこと。私に気を使ってくれているのか知らんけど、その理論もどうかとは思うけどね。

 

ただ、これはあくまで身内の論理でさ、私が一歩外に出たら私がどんな地位でドイツに居るかなんて誰もわからない(あ、村の中では私の身許はたぶん「XXさんとこの娘と結婚した人だわ」…とバレているけど)。なので、ガイジンとしていわば連帯責任を取らされないとも限らない私としては、組織的にお金を無心したりとか、ましてや好意のサンドイッチを玄関先に投げ捨てるようなことはやめてほしいのです。鵜飼の鵜は被害者で、鵜飼が悪い…というのも分かるんですけどね。