Hallelujah(ハレルヤ)

ずっと日本旅行記を書き続けていて書き損ねていたのですが、5月はなかなかよろしくない月でした。正直読んでて楽しい話じゃないことを先にお断りしておきます。


まず、突然友人が亡くなった。私より一回りは行かないほど年上の女性。実はこの日記のどこかにも登場してます。


まあ、なんというのか、自由奔放豪放磊落という感じの女性でして、自由に生きた人でした。


私との接点は、彼女がダブリンに住んでいた頃、しばらく同居人(フラットメイト)だったことがあるのです。で、私がダブリンでのほほんと過ごしていある間に彼女はロンドンから自宅のあるベルリンへと引っ越し。その間もたまにダブリンに遊びに来てくれたり、私がベルリンまで遊びに行ったりと親交はあった。


数年前の大晦日にもパーティーをやるからとベルリンまで遊びに行きました。まあ、すごかった。集まった10人ほどの友人、私を除くみんながみんなタバコを吸い、部屋の中は霧がかかったようになり、そんな中で朝まで飲みながら馬鹿な話をして楽しく過ごしました。


タバコ嫌いな私ながら、あの連中となら副流煙被害にも耐えられたなあ。ただ、嫁とその友人と過ごす大晦日を蹴って私がベルリンまで行ったことに嫁はいい顔をしていなかったことも事実。


時は流れて去年の私たちの結婚式、嫁がたったひとつだけ私達の結婚式に条件を出したんです。


「お願いだから彼女だけは呼ばないで」


実は嫁と彼女はベルリンなどで会ったことがあり、どうも馬が合わなかった。なんていうのかな、性格が真反対なのだ。例えば嫁は外出先でドアの鍵を締めたか心配でたまらなくなる人。それに対して彼女は「ドロボーが入ったら運が悪かったのよ」と笑い飛ばせる人。私の好みは明らかに後者なのだが…とか言ったらなんで結婚したねん…と突っ込まれそうだから言わないけどね。まあ、まったく生き方も考え方も真逆と言っていいような二人でして。まあ、不仲だったとしても正直驚かない。


結局私が折れたんです。結婚式で変な我を通すと、後々まで(ヘタしたら死ぬまで)文句を言われ続けると思ったわけ。そもそも招待状を出したとしてもわざわざベルリンくんだりから来てくれるかは疑問だったしね。


それからほぼ1年。ほとんど使っていない顔本(Facebook)に、とんでもない書き込みが。


「(友人の)姉です。妹が家族に見守られながら静かに永眠しました」


平日に葬儀を行うというので、いてもたってもいられなくなり会社を休み車で行ってきました。ベルリンで行われた葬儀に。嫁も彼女を結婚式に呼ばなかったことへの引け目を感じたのか、仕事を休んでついてきた。


ベルリンまでアウトバーンをとことこ走ること3時間。ベルリン郊外の都市部とは思えない閑静な場所にその墓地はあり、優秀なナビさんは迷うことなく私を連れて行ってくれた。


私はこんな時に写真をばんばん撮るような空気の読めない子ではさすがにないつもりなので、写真はただの一枚も撮っていないことをご理解いただきたいのですが、ちょっとした谷になっているような場所に墓地が広がってまして、その入口にほど近いところに教会があった。


教会の入り口には小さく「今日の会葬予定」が書いてある。1時間おきに午後1時まで5組。忙しそうな感じだが、数年前に参加した東京都内での祖父の葬儀は同じ時間に何組もやってるような感じだったからなあ。


午後1時の開始時刻までまだ30分ほどあったが、すでに外では記帳が始まっており名前を書く。すると、数年前の大晦日に会った彼女の友人を見かけ話しかける。この人は、プラハから夜行バスで駆けつけたらしい。


1時前になり、前の会葬客と入れ替わる形で教会の中に入る。中に入って気がついたが、どうもここフツーの教会じゃなさそう。というのも、神父さん(あるいは牧師さん…違いはググってくだされ)がいないのだ。言い方が変かもしれないけど、霊園に付属しているレンタル(場所貸し)教会…という感じで、神父さんを連れて来たいなら、自分の神父さんを連れてくるような感じらしい。


私の知るかぎり、彼女の生き方は宗教とは無縁だったようだ。ドイツでは教会に属していると教会税が毎月税金として徴収されるらしいのだが、「私は教会を離れます」と宣言すると、これを免れることができる。彼女はこの税金を払っていなかった。


当然の帰結として、彼女の葬儀に神父さんは来ていなかった。司会もなし。その代わりに、誰が作ったのか、自然療法で使うような音楽とセリフが流れていたが、残念ながら、音質が悪くほぼ理解不能(嫁も同意見だったので、言葉の問題だけじゃないと思う)。その音楽の間に、彼女の姉や友人が弔辞を述べる。


何も知らずに参列したのだが、どうも彼女、ガンと診断され、ガンと戦わないという選択をしたらしい。詳しいことはわからずじまいだったが、ガンの治療を選択せずに、宣告からわずか1年で亡くなったことを考えると、おそらくかなり進行した状況での発見だったのだと思う。


1年ということは、私達の結婚式はすでに彼女を宣告された後ということになる。ということは、もし誘っても来てくれたかは疑問。…明らかに結果論で詮無いことなのだが。


気の毒だったのは、彼女のお父様はまだ息災で、娘を看取ることになってしまったことだと思う。気丈にあいさつをされてはいたが、心中いかばかりか。


そして、彼女を送るために歌を歌った。無宗教の彼女らしく、賛美歌などではなかった。こともあろうに、Leonard CohenのHallelujah。誰がこの曲を選んだのかは知らないが、ドイツでさほど知られていないLeonard Cohenのこの歌が選ばれたことに私は驚いた。


そののち教会を出て、参列者全員で墓地へ移動。参列者により埋葬をしてきました。これもドイツとしては珍しいことらしいのだが、彼女はすでに火葬されており、小さな骨壷に収まっていた。その骨壷をお父様が運ばれて、参列者が花などを供え、埋められた。


そして、そののちに、参列者一人ひとりが彼女のご遺族にあいさつ。驚いたことに数回しかおじゃましたことがないのに私のことを覚えておいてくださり、この後自宅に戻るのでぜひ遊びに来てくれと言ってくださったが、さすがにこれは家族の時間になるだろうと思い辞退。そのまま重い気持ちで墓地を出た。


(長くなったので続く)