第二日、第三日(日)(月)
日曜日。この日も快晴。昼過ぎに私はホストファミリー宅へ。この日の予定は「オリエンテーション」。よーするにダブリンの街中で、どこでバスを降りて、どーゆー道のりで学校まで行くか、そして学校からバス停までの道のりの確認。というわけで、自分の車はホストファミリー宅へ放置してバスで街中まで移動。
バス停にたどり着くまでにはアイルランドの大動脈N4(国道4号線)を横断しなければいけない。これが一苦労なのよ。
アイルランドにお住まいの方、あるいは来られた方はご存知だと思うけど、アイルランドの信号機は完全に歩車分離式。つまり、人が横断歩道を渡っている間は車の信号は赤。…ええと、まだわからんという人のために説明すると、日本のフツーの四つ角の信号を思い浮かべてほしい。車用の信号と歩行者用の信号は同時に青になるよね。なので、右左折をしようとしている車と歩行者の動線が重なる。つまり歩行者と車が接触する事故の危険性がある。
これを防ぐために、日本の都市部の一部の交差点では、歩行者用の信号と車用の信号が同時に青にならない「歩車分離式」なる信号の設置が始まっている。これはこれで歩行者の安全が確保される取り組みだと認められるべきだろう。
でね、アイルランドはこの「歩車分離式」が完全に徹底されている。つまり、歩行者が信号を守って横断歩道を渡っているうちは、信号が壊れていたり車が信号無視をしていない限り車は絶対に横断歩道にやってこない。実に安全。
…と聞けばいいこと尽くめのような気がするけど、実はそーゆー次元の話じゃないのよ。かくなる安全の犠牲として、歩行者用の青信号の時間があまりに短くなっている。で、中央分離帯のあるような交差点では、とりあえず中央分離帯までの信号が青になり、そしてしばらくして反対側の信号が青になるような方式になっている。これの意味するところは、信号をきっちり守る限り、大通りを横断するのに5分とか平気でかかってしまうという莫迦な話になるのだ。
当然の帰結として、アイルランドで歩行者用の信号をきっちり守っている人なんていやしない。信号無視が当たり前。歩行者を守るための歩車分離式信号は実は歩行者を危険に晒しているというあまりに皮肉な事実。
私はここでアイルランドの歩車分離式の信号を批判したいのではなく、もっと実務的な話。前日にアイルランドに来たばかりの13歳の少年に「アイルランドでは歩行者用の信号は守らなくていいからね」などとは冗談にも言えない。万が一にもそれが原因で事故でも起こった日には、私は二度と彼の保護者の待つ日本の土は踏めなくなる。かくして、信号をきっちり待つのだが、これが気の遠くなるよな長い時間がかかる話なのよ。中央分離帯までたどり着いたところで非情にもバスは2台通過しちゃうし(いつも通り信号無視をしてたら私はこのバスに余裕で乗れていた)。
そんなこんなで乗れるはずのバスを逃しバス停で無為に15分ほど過ごし次のバスで街へ。彼の学校、ダブリン一の目抜き通り、Grafton Streetにあるので学校にたどり着くことは決して難しくない。…ってか簡単。O’Connell Bridgeでバスを降りてCollege Greenを通過してGrafton Streetに行けばいいだけのこと。実に楽勝。そんなわけで、彼に学校までの道のりを見せ、ついでにあまりの寒さに耐えかねて上着を一枚買って帰宅。
ホストマザーが、翌朝の朝食のことを気遣ってくれて、いつも日本で朝ごはんは何を食べているか聞いてくれる。
彼:「おにぎりと味噌汁」
…。
日本人だな。こいつ。どうも郷に入れば郷に従えという言葉は彼の辞書にはなさそうだ。あとで聞いてみたら、マイペース型の彼の血液型は当然B型だった。
ここで聞くも涙。語るも涙の話をひとつ。
彼が留学する、いよいよ出発という夜明け前の時に、彼の友人が彼を見送りに来てくれたそうな。そして手渡したのは、お湯を入れるだけでお茶漬けになるというレトルトもの。日本食がきっと恋しくなるだろうというホントに粋な計らい。
そんな彼の留学先には…即席味噌汁からワカメ、味噌から醤油に至るまで揃っているというオチ。この家にホームした先輩たちが置いていったらしい。しかも、翌朝に、ホストマザーがホントに味噌汁とご飯を作ったというのだから笑える。さらに、それが毎日続きましたと。聞けば、家族みんなでそれを食べているというのだから、郷に入って自分の郷の文化を押しつけるというなかなか図太いことをこの少年はやってのけたらしい。
翌日、彼の初登校日。街中に勤めるホストファーザーがまあご親切にも彼と一緒にバスに乗って学校まで送ってくれて、さらに夕方迎えに来てくれてバスに乗ってくれた。私の出番はなし。
…なんだけど、それじゃあまりに淋しいから、夜、彼の様子を見に行く。あるいは学校の授業についていけずに半べそをかいているんじゃないか、ホストファミリーとの意思疎通がやはりうまくいかずにストレスが溜まっているんじゃないかと心配していたが、まさに杞憂。本人時差ぼけの微塵すら見せずにけろっとしている。それどころか、ホストファミリーのコドモたち(双子の♂6歳)とすっかり仲良くなって、一緒に仲良くなぜかとなりのトトロを英語で見てる。
となりのトトロの英語吹き替え版、観たことあります?なかなか笑えますよ。オープニングに♪あるこー、あるこー、わたしはげんきー♪って曲があるじゃないですか。あれが曲はそのままで英語に訳されているのですが、いきなり
♪へいれっつごー、へいれっつごー♪
…ときます。なんか違うような。そういえば、魔女の宅急便に至ってはユーミンの「ルージュの伝言」がまったく別の英語の曲に変えられていたっけな。
脱線から話を戻します。本人に最初の日はどーだったか聞いてみた。
おっと。その前に彼の日課表がどうなってるかを説明しないと(とさらに脱線)。彼は3週間にわたって一般の語学留学コースを選択。午前中、午前9時から午後1時まで授業。第2週目と3週目の午後は、スペインとドイツからそれぞれやってくる10代の少年少女グループに混ざって午後はいろんな観光や課外授業に参加するとのこと。ただし、最初の週に関してはそんなうまい感じのグループがいないので午後にやることがない。
最初に学校から提案されたことは、彼を午後の授業に参加させること。なんでも午後には彼と年のころがほぼ同じの某アジアの国の大使の息子が個人レッスンを受けているらしい。その大使の息子との少人数授業を受けたほうが午前中に一般の大人と授業を受けるより効率がいいんじゃないかと。
その提案自体理にかなっていていい考えのような気がするのだが、共働きのホストファミリーが反対した。午前中、誰もいない家に彼を一人で置いておくことは反対だと。これ、決して彼が物を盗ったりするんじゃないかとかいうつまらん心配から来ているものではない。確かにコドモを一人で留守番させるというのは安全面から考えてあまりいい考えとは思えない。
今回の彼の留学を通じてひとつの事実に気がついた。それは13歳は私が思っている以上にアイルランドではコドモ扱いであるということ。たとえばね、13歳のコドモを一人で街を歩くことはさせないというのだ。
こう書くと、「ええ?日が暮れてからもコドモが街中や住宅地を歩き回っているじゃないか」と反論される方がいらっしゃると思う。ご意見ごもっともなんだけど、アイルランドって日本のそれとは比較にならないくらいの格差社会なのだ。ありていに言ってしまうと、ビンボー人と金持ちの差が歴然としている。
このビンボー人と金持ちの差は、教育などに歴然と現れる。あまりに冷酷な言い方だけど、教育を受けることのできるコドモは安全を考えて学校には親が車で送迎するような勢いなのに対して、教育を受けられないコドモは完全に放置されて、深夜に徘徊していようと親は知らん顔。そんなわけだからビンボー人のコドモはビンボー人のまま。いわば格差が世代を超えて固定されてしまうのだ。
今、日本が格差社会だとかワーキングプアだとか一部で騒動になっているけど、これを解決するためには、コドモに均等に教育を受ける機会を与える以外に根本的な解決方法はないと思う。確かに頑張った人が報われるようにするのは大事だけど、そもそものスタートラインに立てない人が出るような社会は正しくないと思う。
…以上、Snigelの多事争論でした。続きましてはスポーツのコーナーではなく、話は留学に戻る。
とにもかくにも、午前中に彼を一人で家においておくのは得策とは思えなかったので、この午後に授業を受けると言う提案は却下。が、彼に午後やることがないと言うのは由々しき問題…というわけで、私は一計を案じたわけ。
そうだ。彼を午前中だけでなく、午後の授業にまで参加させよう。
にわかなんちゃって保護者Snigelは鬼です。午前9時から午後5時まで8時間にわたって英語の授業を受けさせようというわけ。学校は最初の1週間の午後の授業の追加料金は100ユーロでいいとおっしゃる。すばらしい。
かくして、8時間にわたって英語の授業漬けになったかわいそうな彼。さすがに疲れたとは言っていたが、いやはや、若いってすばらしい、それでも元気そう。
彼の話を総合すると、午前中の授業、午後の授業とも国籍が偏っていない十数人のクラスらしい。授業自体はさほど難しくはないが、やはりしゃべるのには一苦労してる模様。やはり、こやつは耳がいいんだなと納得。