帰りのヒコーキでつらつら書いてみる

ただいま帰りのヒコーキの中。マイルを使ってエコノミーエクストラ席にアップグレードしたところ、エコノミーエクストラ席最前列中央側の3列並びの席は貸切。中央に陣取って左右両方の席を物置に使う。これは快適。1万マイル使った甲斐があったというもの。


ただねえ、腹が立ったことには私の前後で相次いで搭乗口で「ピンポン」が鳴ったこと。ほかの空港は知らんけど成田空港で搭乗券を搭乗口の機械に入れたときにピンポンと音が鳴ることがある。これが鳴るとアップグレードされるわけ。なーんで、人の前後で鳴ってわしには鳴らんのだ!もしかしてマイルを使わないほうがよかったのかな…などとも思ったのだが、ま、充分快適なので文句は言うまい。ちなみに、かくいう私も成田空港で「ピンポン」の栄誉(?)に浴したことはありません。


今回の荷物は前回に比べるとかわいいものです。推定合計45キロ(預け入れ荷物35キロに持ち込み10キロちょい)。搭乗受付のお姉さんに「ぎりぎりセーフです」と半ば冗談に言われる。エコノミークラスの荷物は20キロまで、そしてマイレージカードのシルバークラスの付加サービスで10キロ付加。書いていいのかどうか知らんが、まあ一般に知られていることだから書いてしまえ。さらに最大5キロまでは大目に見てくれるのだそうな。つまり、最大でも預託荷物は35キロまで。で、私の預け入れの荷物はまるで冗談のようだが34.9キロ。実際あと100グラム超えていたら超過料金の対象になっていたそうな。こう、毎回「ぎりぎりの」荷物を持つ能力はある意味天才的かもしれない。


今回は忙しい中を縫ってついにこんなもんを買ってしまいました。


炊飯器。


別にお米がないと生きていけないわけじゃないけど荷物に余裕があったので(ツッコミどころ)アキバのヨドバシで購入。さすがアキバのヨドバシ、電圧の異なる海外用の炊飯器のコーナーだけで一区画ありまして確か10種類超の炊飯器を売ってました。その中で一番安いものを購入。一万円でおつりが来ました(さらにポイント還元10%)。しかもスーツケースに入らないから箱のまま預けました。果たしてダブリンまで無事に着くのだろうか。


ただいまコペンハーゲンまであと4時間となりました。エコノミーエクストラ席だとノートパソコンの電源もあるので時間の経つのも早いです。やはり足が投げ出せるかどうかで疲れ方がまったく異なります。エコノミーエクストラ席の特権、ハーゲンダッツのアイスクリームも食べて結構快適に過ごしています。




さて、ここからが本題。3月16日。4月下旬の陽気という中、通夜が都内某所の下町の葬祭場で行われた。亡くなってから6日目。葬祭場の混雑と友引のためこのように遅れた。


通夜の日の午後。自宅の二階に安置されていたじーさんの遺体は葬祭場に運ばれた。棺が家から運び出されたときにもうじーさんがうちに帰ってくることがないと思うとものすごく切ない気持ちになった。よくよく考えると遺骨になって帰ってきたのだが、それでも今生の別れと言う気持ちは消えなかった。


辛かった瞬間を挙げるとすると、このじーさんの遺体が家から運び出された瞬間と、告別式のお別れのとき。棺の中に花を手向けながら最期のお別れにとじーさんの頬に触れたときに気がついた。


じーさんの頬は氷のように冷たかった。


当たり前と言えば当たり前の話。冷静に考えればドライアイスで保存されている遺体、冷たいに決まっている。でもさ、本当に安らかに眠っているようなじーさんの遺体だったからなんだかまだ生きていてむくっと起きてきそうな気がずっとしていたのだ。つまり、自分の中ではじーさんが死んだと言う事実をこの瞬間まで受け入れられていなかったのだ。


が、やわらかいながらも頬の氷のような冷たさはじーさんが死んだと言う変えようのない事実を私に冷酷なまでに突きつけていた。そして私はそれを受け入れざるを得なかった。私の大好きなじーさんは霊山に旅立ったのだと。私はあの冷たい頬を一生忘れないだろう。


こうして葬儀は無事に終了。大金を使い、会社に無理を言ってまでアイルランドくんだりからのこのこやって来たわけだが、来なくて後悔するより来て後悔するほうがマシ。来てよかったと思っている。じーさんにきちんとお別れをいえたことに私は満足している。私の決断は決して間違ってないと信じている。


そんな中残念というか腹立たしいこともあった。まず、どこで調べてきたのやら、祖父が亡くなったことを聞きつけてかかってくる迷惑セールス電話の数々。


私:「もしもーし」
相手:「ナントカ企画の某と申します。お取り込み中恐れ入りますが香典返しのギフト…」


ええい、お取り込み中で恐れ入ると思うんなら電話をかけてくるな。そして、さらに宅急便や郵便で送りつけられてくる香典返しのギフトカタログの山。こんな他人の不幸に付け込んでくるビジネスはまあよく言えばどんな機会も逃さない商魂豊かな人々と言うこともできるのだけれど、私のような人間のできていないものには我慢がならない。ひどい言い草だが人の不幸を食い物にするような連中は地獄にでも堕ちてくれ。


もっとすごい輩もいた。通夜はありがたくも数百人の人が参列してくださる大規模なものになった。かくして、通夜の後の一席も親類関係とその他と二つの部屋に分けられた。当然私の知らない親類縁者もちらほらと。私はまったく気がつかなかったのだが翌日になってとんでもない事実発覚。


誰も知らない「親類」が一人混じっていた。


出入り口に近い席に一人のはげたオッサンがいたらしい。その人に話しかけた親類によるとこのオッサンは親類関係ではないが知り合いだと名乗ったらしい。親類じゃないのに親類の席にいるだけでヘンなのだが後になってわかった。このオッサンは親類でも友人でもなんでもない無銭飲食者


なるほどなあ。確かに通夜の席に出ていたのは結構高級な寿司やてんぷらに煮物など。ついでにビールなども飲み放題。多くの人が参列すればするほど全員を掌握するのは不可能に近く、さらには喪主や親類縁者は気が張っているから細かいところまで気が回らない。そんなことまで考えれば通夜の席は無銭飲食にはもってこいと言える。おそらくこのオッサンは無銭飲食の常習犯なのだろう。


再度人間のできていない私なんか怒り心頭になったがもう後の祭り。いまさら警察だの葬祭場に届け出てもあまり意味があるとは思えない。かくして、この件は不問に付されることに。こうしてこのオッサンはまた懲りずに誰か知らない人の葬儀で無銭飲食を繰り返していくのだろう。喪主のばーさんは「まあ、あのじーさんのことだから、最後まで他人に優しくしたかったのだろう」なんていって自分を納得させていた。


蛇足ながらこの葬祭場はじーさんにとってはいわくつきのものだった。実はじーさんが元気だったころ、おそらく20年近く昔の話なのだろうかのお話。この葬祭場の前は道がクランクカーブ(直角のカーブ)になっている。そこを酔って自転車で通りがかったじーさん、こともあろうに葬祭場の敷地の中にダイブしてしまったらしいのだ。「そんなに死に急がなくていいのに」と家族中の笑いものになった。それから幾年かしてじーさんはそこで荼毘に付された。


さあ、気持ちを切り替えてダブリンに戻ろう。もちろん、気持ちを切り替えるということは忘れるということではない。