【どこよりも詳しいリューゲン島ガイド5】ナチの置き土産Prora

お次に向かったのはProra。ここの説明はWikiに詳しいのでお任せしましょう。


(Wikiより転載)
プローラ(Prora)はドイツのバルト海に面した島、リューゲン島にナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が計画した保養所・海水浴場である。この海水浴場が有名である理由は、砂浜に面した松林の中に長さ4.5kmにわたって伸びている、「Koloss von Prora(プローラの巨人)」と呼ばれるコンクリート製のビル群の存在である。


一棟500mの長さのビルが8つ連なる巨大建築は、1936年から1939年にかけて、ナチスの労働者組織ドイツ労働戦線の下部組織・歓喜力行団(Kraft durch Freude、KdF、国民に余暇活動を供給した組織)が巨大保養施設として建設を進めたものであった。それぞれのビルは全く同じ形をしており、20,000人の労働者が休暇を過ごすために計画されていたが、ついに使用されることはなかった。プローラは残存している第三帝国の建築の中でも、その統一感とヒューマンスケールを超える巨大さが印象的な建物で、ナチス建築の典型といえるものである。
戦後は住民のいない廃墟も同然となり、世界最大の空き家とすら呼ばれていたが、2006年に一部が売却され、ようやく再利用が進められようとしている。
(転載ここまで)


なんかすごくないですか?長さ500メートルに渡る建築物を8つタテに並べたって。というわけで、私のたっての希望で行ってみました。Prora。


こんな巨大な建物だから、すぐに目につくと思ったのだが、海岸の防風林に隠れて、表通りからは全く見つけることができない。当たりをつけて車を停める。


もはやネタです。こんな誰もいない駐車場ですら金を取るというのは。毎時1ユーロとかだったかな。


テキトーに海岸に向かって歩いて行くと…


ビンゴ…ってそりゃそうだ。海岸線に4.5キロにわたってある建物なんだから。


廃墟…ですね。


この写真で伝わりますか。この存在感。長さ500メートルに渡る廃墟が海への砦のごとくででんと建ってるんです。一種異様です。


むむむ?廃墟が綺麗な建物になったぞ。


実は、一部はユースホステルとして再利用されているのです。確かに「中産階級向けのレジャーを広く一般大衆に開放して、階級間の橋渡しをしようという意図があった。このため全長数kmにおよぶプローラの宿泊棟はほぼ均等な外観をしており、全ての部屋が同じ設計であった。各部屋は奥行き5m、幅2.5mで、ベッド2つとワードローブ1つと流しを備えていた。共同トイレと共同シャワーは階下にあった。」(Wikiより転載)これって現在からすればユースホステル向けの建築だよね。


ユースホステル内部(入ったんかい)。


海岸へ向かう通路があったのでくぐって海岸へ向かってみました。


ナチだのなんだのとかいうものとは無関係の平和な海岸でした。


何やら人工建造物があるので行ってみます。


「埠頭は埋め立てたまま建設中止」(しつこいけどWikiより転載)という場所でしょうか。


とにもかくにも興味深かった。ナチ=ホロコースト=戦争犯罪=絶対悪っていうのは簡単。だけどさあ、それって歴史を一面からしか捉えていないんじゃないかと感じた。いや、論を待たずナチのしたユダヤ人の大量虐殺は間違い。ここに異論を唱えるつもりは毛頭ない。だけど、Proraというこの巨大な遺構を見るとナチスドイツはユダヤ人の大量虐殺以外のこともやったということがわかる。


なんて言えばいいのか、かっこ良く言えば「歴史の多面性」というか、ナチ=絶対悪という構図からはこのProraの巨大建築は読み解けない。いや、ちょっと建物を見ただけで読み解けたとは思いませんけど、もし、こんなふうに歴史の多面性に気がついていれば、あの高校時代の悪夢の年号記憶の日本史ももっと楽しいものになっていたのではないかと思う。


おそらくここが、「劇場と映画館」です。果たして夏の間は賑わうのか、「ディスコ」と書いてますね。


ディスコの横にはPrpraの資料館が。時間の関係で訪問できなかったことが、今回の遺恨その(1)。この後天気の悪い日にでも再訪しようと思ったが、結局訪れる機会はなかった。短時間でも訪れてこのProraに対する理解を深めておけばよかったと残念に思う。